1835〜1919年。越後国(現在の新潟県)出身。長崎や薩摩で洋学・海外事情を学んだ後、幕臣前島家を継ぎ、明治政府に出仕。1871年、日本の近代郵便制度の創設を主導し、「日本近代郵便の父」と呼ばれる。全国均一料金や切手制度の導入、郵便網の整備を進め、誰もが利用できる情報インフラの土台を築いた。MaejiH isokama© 前島記念館所蔵1835年、前島密は越後国(現在の新潟県)に生まれた。叔父の影響もあり、幼い頃から学問に強い関心を持っていた前島は、医学を志して12歳で江戸へ赴く。やがて幕末の日本は、黒船来航をきっかけに大きな変革期を迎えた。海外から入る知識や技術は従来の常識を揺さぶり、多くの若者が新しい時代を模索しており、前島もその一人だった。その後、長崎や薩摩で英語や西洋の学問に触れるなか、前島は日本が近代国家として歩むために何が必要かと考えるようになった。特に関心を寄せたのは、欧米諸国が築いた近代的な社会の仕組みであった。明治維新後の1869年、前島は静岡藩で開業方物産掛などを務めたのち、新政府に招かれ、民部省の改正掛に出仕する。近代国家の基盤づくりに関わる立場となった前島は、1870年、イギリスに赴き郵便事業を学んだ。帰国後は海外で得た知識をそのまま取り入れるのではなく、日本の実情に照らし合わせながら、何が足りていて何が足りないのかをつねに考え続けていた。海外へ目を向けた若き前島1871(明治4)年の春、東京と大阪の間で日本初の官営郵便事業が始まった。その制度を設計した人物・前島密が本当に作ろうとしていたのは、郵便局という「場所」ではなかった。当時の日本では、手紙を遠くに届ける手段は、主に飛脚に頼っていた。料金は交渉次第、届くかどうかは保証なし、使えるのは商家か武士だけ。農村に暮らす人々が離れた家族に便りを出すという行為は、現実的には選択肢になかった。江戸時代から続くこの「情報の届きにくさ」は、明治維新で日本が動き始めた後も、そのまま残っていた。26(1835〜1919年)ひそか先見創新〜百年を超えて輝く信念〜前島 密「郵便の父」と呼ばれた人物
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