Plusone652
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5 ―歌舞伎俳優の家に生まれた松也さんにとって、歌舞伎とはどんな存在でしたか。幼い頃、歌舞伎は遊びの延長で、家ではヒーローごっこの代わりに歌舞伎ごっこをするほど好きでした。初めて舞台に立ったのは5歳の時で、その後も子役で出演していました。十代になると歌舞伎以外の演劇にも興味が生まれ、ひとりの俳優として広く活躍していきたいという願望もありました。中学3年間は舞台から離れていましたが、高校に入って復帰した時には歌舞伎がまた大好きになり、将来、俳優としてやっていくのであれば、歌舞伎は必ず役に立つという感覚で、その存在の大きさを再認識しました。―歌舞伎と真剣に向き合うきっかけは何でしたか。なりました。そこからですね、歌舞伎俳優として真剣に取り組まなくては、と考えるようになったのは。僕は歌舞伎の家に生まれたとはいえ、代々―家を継いだ時、どのような目標を描きましたか。父は歌舞伎が好きで、一代で松助という名跡にまで上り詰めた人でしたので、僕が家を継ぐ義務はなかったですし、両親も継がなくてもいいと言ってくれました。たとえ僕が継いだとしても、主役の立場にないことを父はわかっていました。ですが、せっかく父が始めた道を進むのであれば、「父を超える」ではないですが、父が果たせなかった役どころへ到達しなければ意味がないと思いました。当時は自分でも焦っていましたし、自分を追い込むためにも30歳まで全力で頑張って、それで芽が出なかったらすべて辞める覚悟で、リスクを背負ってチャレンジしていこうと決めたのです。―歌舞伎以外で活躍をして歌舞伎に戻ると戦略的に考えていたのですか。そうですね。父親が頑張ってくれたお陰で、そのままでも歌舞伎の世界にいることはできましたが、生まれた時から名門家系の俳優さん方と肩を並べるには、僕個人に人気と需要があることが非常に重要で、そこにしか活路はないと考えました。父の死を契機に逆境を乗り越える決意にわたる家柄ではなく、その立場で父親が亡くなりましたので、将来的に大きなお役をいただけるチャンスは少なく、それを打開しようと、歌舞伎の自主公演を立ち上げたり、オーディションをたくさん受けたり、歌舞伎をお休みしてでもドラマに出演しました。少しでも世間に知っていただける機会を増やして、歌舞伎以外の場で自分の価値を上げていかなくては、自分の立場を確立できないと思ったのです。とはいえ、当時は何の伝つて手もなかったのでオーディションを受けるしかなく、可能性があることはどんどん挑戦していきました。それで駄目なら仕方がない。当たって砕けろの精神でがむしゃらにやっていたら、いろいろなご縁に恵まれ、少しずつ世間に名前を知っていただけるようになり、以前より良い環境で歌舞伎の舞台に戻って来ることができたのです。―歌舞伎とそれ以外の活動の両立を通して感じたことは何ですか。演劇やドラマ、ミュージカルなどに積極的に出演したことが、歌舞伎俳優としての僕を押し上げてくれました。今の尾上松也というアイデンティティを作ってくれたのは、そうした歌舞伎以外の活動で得た刺激や、人脈によるところなどが大いにあると思いますのでとても感謝していますし、これからも続けていくつもりです。それと同時に、もしほかの俳優さんたちと違う土台が僕にあるとしたら、それを作ってくれたのは間違いなく歌舞伎ですので、今は両方に感謝しているというのが正直な気持ちです。20歳の時に父の尾上松助が亡く

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