墨田川造船のルーツは1913年、高橋新八男爵が設立した洋式船工場にさかのぼる。高橋は東京帝国大学(現在の東京大学)で船舶工学を学び、「洋式の船を日本で造りたい」という志を抱いていた。それは、当時の日本の船造りが船大工の経験や勘に頼っていて、設計図面を用いずに造られていたからだ。一方、洋式造船では設計図や建造工程を作成し、それに基づいて製造することで、品質の高い船を安定して造ることが可能になった。さらに、高橋が一貫して追求したのが“速さ”である。その思想は現在まで受け継がれ、墨田川造船にとって小型高速艇の建造は、創業以来の基本姿勢となっている。第二次世界大戦中は内火艇(エンジン搭載の小型軍用船)などを建造していたが、終戦とともに軍需がなくなり、一時期は家具製作で事業をつないでいたという。転機となったのは1948年、海上保安庁の発足だった。創設直後に1隻目の巡視艇を受注して以来、ほぼ毎年建造を続け、2025年度までに通算205隻を納入している。海上保安庁や警察、消防庁などの官公需案件では、価格入札の前に厳格な技術審査が行われる。これは第三者を交えた検討会で、設計思想や性能の裏付けまで細かく問われる。同社代表取締役社長の石渡秀雄さんは、「こうした需要に応えるには、弊社のように設計から性能検証まで一貫して完結できる生産体制を持つ必要があり、設計部門を持たない多くの造船所では、技術審査を通ることは難しいでしょう」と語る。墨田川造船の強みは、「いかに軽くしかも丈夫な船を造るか」にある。例えば、同じ設計図をもとに同社と他社で建造した船を比較してみたところ、同社の船の方がはるかに軽かったという。その違いは、溶接の量や使用する部品の選び方にある。船は重くなるほど深く沈み、同じ馬力のエンジンでも水の抵抗が増してスピードが出にくくなる。「もちろん、軽く造るからといって丈夫さを犠牲にはできません。強度が不足する部分には細い骨材を細かく入れて補強します。一部だけを強くすると反対側が弱くなることもあるので、全体のバランスを見ながら適度にサポートを加えます。こうした判断はやはり経験がものを言いますね」と、石渡さんは説明する。現在、同社の建造船の内訳は、海上保安庁向けが6割、民間船および海外ODA向けが3割、既存船の修繕が1割を占める。年間の建造数は4〜6隻ほどだが、同じ仕様の船は一隻としてなく、すべてがオーダーメイドである。一般の貨物船などは、船首と船尾を除けば中央部分の形状は共通化されることが多い。一方、同社が手がける船はスピード性能を追求した流線形が特長で、船首から船尾まで一隻ごとに形状が異なる。それは用途ごとに要求される性能に違いがあるからだ。例えば、同じ海上保安庁向けでも、取り締まり用なら高速性能が重視され、海洋観測や計測用では低速時の安定性が求められる。「船ごとに運航する海域や任務が異なるため、用途に最適な設計を徹底しており、スピードだけでなく、転覆しにくさや乗り心地なども含めて、一隻ごとに異なる船を造っています」と石渡さんは語る。同社は現在東京都江東区に拠点を構える。理由は明快だ。依頼主の多くは都心に集中しているため、図面を突き合わせて直接打ち合わせをしたり、必要に応じて現場に案内したりできる。こうした密度の濃いコミュニケーションを迅速に行えることは、船造りにおいて大きな強みとなる。石渡さんは、「それ以外は、土地は高いしデメリットも多いです(笑)。それでも、技術的なバックボーンを築くうえで、東京という地の利は非常に重要です」と語る。型船が中心で、同社の小型艇設計には応用できないことが多いため、OJTを基本としながら実践を通じて独自のノウハウを伝えているという。会社を売却するところも多いが、同社は官公庁向けの船造りを担う使命があり、事業を途切れさせるわけにはいかない。「後継者候補にはさまざまなプロジェクトを任せたりしながら、次代を担う人材を育てていきたいと考えています」と石渡さんは語る。高速艇を建造する高度な技術は、治安維持や海難救助など多くの用途で不可欠だ。スピードへのこだわりと次世代人材の育成を両輪に、墨田川造船はこれからも技術の継承と挑戦を続けていく。大学などで学ぶ一般の造船知識は大また、造船業界では後継者不足で海に囲まれた日本にとって、小型110年以上前、洋式船工場として始動海上保安庁などの官公需で飛躍ノウハウの蓄積から生まれる“軽い船”一隻として同じ船はないオーダーメイドなぜ東京都心で船を造るのか造船技術の継承と後継者育成に尽力同社で建造した東京都防災船「しらぬい」設計から建造まで自社内で一貫生産29
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