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ブレイクするまでも、その後も“嘘はつかない”が信条5 ―あさこさんが芸人になろうと思ったきっかけは何でしたか。もともと喜劇の舞台に立ちたいという思いがあって、20代半ばに演劇専門学校のミュージカル科に通っていました。オーディションもいろいろ受けたけど全然ダメで、でも一つだけ「アルプスの少女ハイジ」というファミリーミュージカルで、ハイジをいじめるロッテンマイヤー先生役を授かりました。ハイジのいじめ方は全部アドリブでいいと言われたので、自分でアレコレ考えて演じたら、子どもたちがワーッと笑ってくれて、「そうだ、私、喜劇やりたかったんだ」ということを思い出しました。当時、テレビ番組にどんどん知らない芸人さんが出てきていたので「あの世界に行けば売れる!」と勘違い。舞台仲間とコンビを組んでお笑いライブのネタ見せに行ったら、無名だけど面白い芸人さんだらけで早速鼻をへし折られましたが、逆に「オモシロイ!」と本格的にこの世界でやっていこうと決意しました。―その後コンビを解散してピンになられて、レオタード姿の浅倉南ネタでブレイクされたのですね。2003年から一人になりましたが、コンビ時代にコントをやっていたので、その時の衣装がたくさん残っていて、CAや看護師、シスターなどを演じる自虐ネタでお笑いライブに出ていました。その一つが浅倉南の新体操ネタで、始めたのは38歳の時でした。でも、「イライラする〜」っていうセリフがマイナスイメージと言われ、お笑い番組あの日、雨が降っていたお陰で南ちゃんネタがブレイクのネタ見せではずっと落ちていました。そんな折に、お台場で何千人も来場する大きなイベントに出演する機会があって、南ちゃんネタをやりたいとスタッフにお願いしたら、イベントだったらいいよとやらせてくれて、それが激ウケしたんです。たぶん神様のプレゼントだと思うんですけど、直前から雨が降り出して、会場が屋根付きだったのでお客さんがパンパンに入ってくださって、そこでドーンとウケたので。その後、人気番組の『爆笑レッドカーペット』にも出演させていただくようになり、それから、テレビのお仕事が増えていきました。―アラフォーでのブレイクは遅咲きと言えますが、それまではどんな思いでお仕事をされていましたか。売れるまでの十数年間は、まわりから「テレビ向きじゃない」とか「売れない」とか言われすぎて、自分でもそう思い込んでいたので、別に「何くそ」という気持ちもなく、深夜に牛丼屋でアルバイトを続けていました。そもそも芸人を目指し始めたのが27歳と遅かったので、“売れない魔法”にかかっていて、40歳を過ぎてもこのバイトを続けられるかなぁなんて心配していたほどです。―今ではテレビ、ラジオ、舞台と引っ張りだこですが、第一線で活躍し続けるために意識されていることはありますか。お仕事いただくようになってからも、そこに居続けようと何かしてきたわけではありません。テレビやラジオの出演なんて、私が決められることではなく、人が決めていくことなので、私は一生懸命やるだけです。ただ一つだけ意識しているのは「嘘をつかない」ということ。それはテレビに出る前から変わっていません。わかりやすい例でいうと、40歳でテレビに出始めて、若い男性アイドルと共演した時に「キャーッ!」と反応してほしいとスタッフに求められても、年配の私がやるなら、「おっかさん」のような反応の方が自然だと考えてそうしました。本当に自分にとって“嘘になる”ことはやらない。この芯の部分はブレないようにしています。

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