森林は雨水を地中に浸透させ、地下水を蓄えます。その際、樹木の落ち葉や枯れ枝が自然のフィルターとなり、雨水を浄化して、川や湖へ流れ込む水を清純に保ちます。もし森林が荒廃すれば、土壌の流出や水源の枯渇が進み、私たちの生活に深刻な影響を及ぼします。そのため、植林や間伐など適切な森林管理を行い、人と自然が共生する姿勢が大切です。森の整備が豊かな水をつくる多摩川上流の水源保全に尽力【隅田川改修計画】【排水設備の整備】【治水政策の啓蒙活動】衛生環境の悪化が深刻な問題となっていました。また、頻繁に洪水が発生し、多くの市民が被害を受けていたため、治水対策は東京にとって最重要課題のひとつでした。そこで、尾崎は具体的に次のような治水対策を行いました。隅田川は東京の主要河川でありながら、洪水被害を起こしやすい状況にありました。そこで尾崎は隅田川の改修を進め、堤防の強化や河川の拡幅を行うことで、洪水のリスクを低減させました。東京の下水道整備にも尽力し、洪水対策と都市の衛生環境の改善を同時に進めました。尾崎は治水の重要性を市民に訴え、広報活動を通じて理解と協力を得ることで、市民参加型の治水事業を展開しました。これらの取り組みにより、東京の洪水被害は軽減され、水に対する市民の意識が高まりました。その成果は現在の東京の都市計画にも大きな影響を与えています。尾崎の治水事業の功績として特筆すべきは水源林の確保です。当時、東京の飲料水のほとんどを供給していた多摩川上流の水源地は、森林が伐採され荒廃していたため、東京では渇水や濁水が頻繁に発生する憂うべき状況でした。尾崎は、東京の安定した水供給には長期的な森林の保全が不可欠と考え、明治39(1906)年、多摩川水源林の調査に着手し、その結果、流域の山林が江戸時代よりも荒廃していることがわかりました。そこで、尾崎は明治43(1909)年、技師を引き連れて山梨県丹た波山村をはじめとした水源地を自ら踏査し、東京の給水に責任を負っている東京市が水源林を所有・管理すべきと決断。明治43(1910)年、水源地の森林経営が東京市会で議決され、荒廃した水源林を買収してその経営に乗り出したのです。これにより、羽村の取水口から上流の多摩川流域にかけて、毎年600万m2ずつ伐採と植林を行い、大正末までに総計1200万本の苗木が植えられ、造林面積はばやま2500万m2に達しました。さらに、植林とともに、崩壊地の復旧事業などの施策を講じた結果、安定した水供給と水質の向上、洪水の緩和が図られ、水源林として現在見られるような見事な森林が形成されるに至ったのです。このように、尾崎は東京市長として水源地の保全と水道事業の発展に重要な役割を果たし、その先見性は、東京を近代都市へと成長させる推進力になったと言えるでしょう。Column参考資料:『東京都水道史』(東京都水道局)|尾崎行雄記念財団Webサイト https://ozakiyukio.jp|近代日本人の肖像Webサイト https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/47/『丹波山 水源林物語』(右:書籍 左:DVD)お問い合せはティグレフォーラムまでご連絡ください泉水谷丸川峠付近の荒廃破林地を視察する尾崎市長と一行(東京都水道歴史館所蔵)17もっと知りたい
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