YukoOzaki i (一般財団法人尾崎行雄記念財団所蔵)日本の議会政治確立に大きな貢献東京市長時代のインフラ整備慶応義塾、工学寮中退後、新潟新聞、郵便報知新聞などでジャーナリストとして活動。明治23(1890)年第1回衆議院選挙に当選以降、昭和27(1952)年まで連続25回当選。その間、文部大臣、東京市長、司法大臣などを歴任。大正元(1912)年の第一次護憲運動では犬養毅と共にその先頭に立ち、桂首相を追求して、「憲政の神様」と呼ばれた。議員生活は歴代最長の63年間におよび、96歳まで平和主義を訴え続けた。尾崎行雄は、近代日本の議会制度の確立と発展に大きく寄与した政治家です。若い頃から自由民権運動に参加し、立憲政治の実現を目指して活動。明治23(1890)年の第1回衆議院議員選挙で当選し、その後63年間にわたって連続25回当選という記録をつくりました。特に政党内閣の実現や大正14(1925)年の普通選挙法の成立に貢献し、多くの国民が政治参加できる仕組みを築きました。また、言論・集会の自由を重視し、民意を尊重する政治を推進。外交面では日露戦争や対中国政策に慎重な姿勢を示すなど平和を訴え続け、その信念と実績は日本政治史に輝く存在として評価されています。尾崎は明治36〜45(1903〜ンフラ整備、中でも治水対策において後世に残る重要な業績を残しました。当時の東京は急速な都市化が進む中で、飲料水の供給不足や尾崎行雄(号名「咢がくどう堂」)は、明治から昭和にかけて活躍した政治家。議会政治の黎れいめいき明期から戦後まで衆議院議員を63年間務め、「憲政の神様」「議会政治の父」とも称される人物です。尾崎は明治36〜45(1903〜12)年に東京市長(現在の東京都知事に相当)も務め、東京のインフラ整備に大きく貢献しました。中でも、都市に不可欠な水道基盤の構築に力を注ぎ、奥多摩の水源林整備を進めることで、東京の水道インフラの礎いしずえを築きました。1612)年に東京市長を務め、東京のイ(1858〜1954年)先見創新〜百年先を見据えた事業〜首都東京の水道インフラを築いた政治家尾崎 行雄
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