Plusone644
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数々の苦難乗り越え「面白い60代に」常に資金繰りに苦労しながら乳がんが発覚、そしてコロナ禍に直面マホルモン)」はある。「放者(ホルモン)」への卸を増やしていくも期日通りに横浜・伊勢佐木町の歓楽街にたたずむビルの2階に肉創作料理「濱放者(ハには名物のホルモンを使った濱モツ鍋と放っぽり者をかけた。「放っぽり者は遊び人という意味です。濱(横浜)の遊び人が1人前の濱モツ鍋をサッと食べて遊びに出ていくような、そんな意味も込めて名前をつけました」と店主で、精肉店「肉の内島」も営む内島政夫さん。政夫さんはもともと空調機関係の仕事をしていたが、精肉店を営む父親が体を患い、22歳の時に店を手伝うようになった。24歳の時にしのぶさんと結婚し、2人の子どもに恵まれた。だが天候にも左右される小売りの商売は不安定だった。徐々に飲食店など支払いがなされないことも多く常に資金繰りに悩まされた。安定した売り先を求めて公共施設との取引を増やそうと、横浜市、神奈川県の入札資格を取った。子育てがひと段落したしのぶさんに経理関係の仕事は任せ、少しずつ実績を積み重ねながら、病院や学校給食の仕事を増やしていった。そして50歳の節目を迎え、新たに挑戦したのが「濱放者」だ。ヒントになったのは東京の老舗どぜう鍋専門店。「精肉店では焼き鳥やもつ焼きも売っていたのですが、それに使うつぎ足しのタレが、どぜう鍋のタレとよく似た味だったんです。家に帰ってさっそくうちのタレを出汁で伸ばしたら同じ味になりました。それならうちでもやれると思って生まれたのが濱モツ鍋。そのどぜう専門店はきざみネギと七味唐辛子とささがきゴボウを載せますが、うちは唐辛子を山椒に変えただけ」とあっけらかんと笑う。同時に手間がかかる精肉店の小売りから撤退した。もともとバーだった店を改装してオープンにこぎつけ、意気込んでいた矢先に、しのぶさんの乳がんが発覚する。つらい闘病生活に入り「死を覚悟した」が、しのぶさんは気丈にふ直面する苦難を二人三脚で前向きに乗り越えてきた28株式会社MRKコーポレーション(肉創作料理・濱ハマホルモン放者)代表取締役社長 内島 しのぶさん代表取締役会長 内島 政夫さん東京横浜

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