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「全国チェーン化」を創業当初から目指す世界市場への進出を考え、鶏肉に絞るからの理解が得やすくなっています。もちろん、価格を上げる際にはただい    6大きなことをしたいと思っていましたずらに上げるだけではお客様が離れていく可能性があります。お客様にしっかり支持してもらうためには、その対価を支払ってもよいと思っていただけるようにブランド価値を向上し続けることが欠かせないと考えています。橘 ることを考えていたのでしょうか。業した後、イタリアンレストランで働いていたのですが、その頃から社会的にインパクトを与えるようなた。その時に自宅の近所に「やきとり大吉」のお店があったのでそこに通ううちに店主と仲良くなり、うちに来ないかと声をかけられるようになりました。その時私を誘ったセリフが、「一緒に大チェーンを作ろうよ」で、その「大チェーン」という夢にひかれて働くことにしました。「大チェーン」の言葉にひかれたの大倉 創業当初から店舗網を大きく広げ私は調理師専門学校を卒であって、焼鳥に魅力を感じたわけではなかったのです。その店主のもとで7店の新規出店に携わり、独立するなら焼鳥業界でと考えるようになりました。ただ、経営方針が合わずに自分だけで独立することになり、創業当初から「全国チェーン化」を目指していました。中でも大きな自信になったのは、大阪の繁華街、道頓堀店で成功したことです。それまでは大阪でもローカルなエリアで出店していたのですが、道頓堀でナショナルチェーンとの競争が激しい繁華街に進出したのです。繁華街は地価が高く採算が取りにくいので、3階に店を出しました。当時、居酒屋業界では和民さんが勢いのある頃で、同じビルの7階に和民さんが出店していました。店が開く時間になるとまず和民さんのお店から埋まって、次にうちが埋まっていったのですが、いつの間にかそれがだんだんと逆転するようになっていきました。こうして繁華街でも勝負できるという自信を得たことから、その後大阪の都心部、そして首都圏へと出店エリアを広げていくことになります。首都圏については全く土地勘がなかったので、和民さんが出店する駅であればマーケットがあると考え、その近くの空中階に出店する戦略を取ることで店舗数を伸ばしていくことができました。橘 メニューを均一価格にし、しかも鶏肉に絞っていったのはどのような狙いがあったのでしょうか。一の焼鳥の個人店があって、学生の多い町だったこともありよく流行っていました。均一価格のメニューの中でも、これは値段以上の価値があるなと感じられるものもあれば、そうでないものもあり、注文していても面白いなと感じました。実は1号店を創業してから1年ほどは、品目ごとに価格を変えていたのですが、なかなか売り上げが伸びなかったため1年後に均一価格に変えたのです。そうすると話題になって徐々にお客さんが増えていきました。均一価格の強さを改めて感じました。なぜ鶏肉に絞ったかというと、まずは牛肉や豚肉に比べて安いことです。そして先々の事業戦略を練って世界市場への進出を考えた時に、例えば、アメリカでは健康志向から鶏肉が牛肉の消費を上回っているので、店舗を広げていきやすいと思ったからです。CO2排出の観点からも、鶏肉は牛肉の6分の1しかなく、環境に優しいことも理由の一つです。あらためてチキンを事業領域として定め、日本だけでなく大倉 20歳の時に家の近所に230円均1960年、大阪府生まれ。高校、調理師専門学校を経て、ウェイターとして大手ホテルチェーンのイタリアンレストランに勤務。82年、焼鳥店に転職。85年に独立し、東大阪市内に「鳥貴族」1号店をオープン。86年に株式会社イターナルサービス(現:株式会社エターナルホスピタリティグループ)を設立、代表取締役社長に就任。2023年1月に「やきとり大吉」をグループ化。グループで「鳥貴族」を600店以上、「やきとり大吉」を400店以上展開している。株式会社エターナルホスピタリティグループ 代表取締役社長CEO大倉 忠司 (おおくら ただし) DIALOGUE

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