2人の恩人との出会い若い選手に伝えたいこと伸びる選手の共通点ングを始め、50歳で引退する前日までそのでいると大恩人である星野仙一監督からオーに行って6キロ走りました。しかし甲子園はめちゃめちゃ遠かった。負けたその足でスポーツ店に寄り、2キロのダンベルを2つ買い(1200円)、寝る前に手首のトレーニ習慣を続けました。1984年に中日ドラゴンズに入団したのですが、入団後4年間で一軍での登板はわずか4試合のみで勝ち星なし。プロでは通用しないと思いました。5年目、最後のシーズンのつもりで春のキャンプに取り組んプン戦の開幕投手を言い渡されました。結果は初回7失点KO。星野監督から「死ぬまで走っとけ」と言われ、言われるがままフルマラソン1回分くらい走った頃にマネージャーがやってきて、監督の部屋に行くように指示されました。気合を入れ恐る恐る覚悟して部屋に入ると、優しい声で「今年はどうしたいんや」と聞いてきました。「一軍で投げたいです」と話すと、「アメリカの2次キャンプへ連れていく」と。「その代わわれました。後になってドジャースの交換留学に選ばれたことが分かったのですが、11月といえばもうシーズンは終わっています。「今年も投げられないのか」と思って退団も頭によぎったのですが、怖くて言えませんでした。ただ、星野監督は選手やスタッフの奥さり11月まで向こうで野球をしておれ」と言んの誕生日に直筆のバースデーカードと花束を必ず贈る人でもありました。アメとムチをうまく使い分ける人でした。1988年のドジャースのキャンプで、私は人生のもう一人の恩人ともいえるアイク生原(生原昭宏)さんに出会いました。アイク生原さんには「上から投げなさい」「前でボールを放してみなさい」と改めて基本を徹底的に叩き込まれました。それからは風呂に入る時以外はずっとボールを握っていました。日本で新しい球種を覚えようと思えばコーチの許可がいります。でもアメリカは違いました。アメリカは8軍まであり競争も激しいです。僕はスクリューボールの握り方を自ら教わり、登板した試合の3球目で投げました。そして1Aでは13勝7敗という好成績を上げ、オールスターにも選ばれるようになりました。その結果もあり、シーズン途中で星野監督から直接電話で帰国命令を告げられました。8月の終わりに一軍に上がり、プロ初勝利の後、初先発、初完封も経験し、優勝争いをする中で5勝することができました。そしてこの年、ドラゴンズは見事優勝したのです。5年目にしてやっとプロ野球選手の仲間入りをした気持ちになりました。星野監督、アイク生原さんのおかげで花が開き、大きく人生が変わりました。現役時代最後の10年間はルーキー全員を呼んで話をするようになりました。若い選手たちには「時には無駄なこともしなさい。何かプラスがある」と伝えています。今の若い人は頭もいいし、技術もあるし、効率よく練習します。レベルも高いです。今では普通の高校のピッチャーでも140キロは投げます。ただイレギュラーなことに弱いので、イレギュラーに強くなれと言っています。「意外と時間ないぞ」とも言います。高い給料をもらうと遊びたくなります。でも、稼げる世界に入ったのだから1億円プレーヤーになるまで死ぬ気でがんばれと伝えています。頭髪、着こなし、挨拶をしっかりしなさいとも伝えています。野村克也さんは「日本人の8割は相手を第一印象で決めてしまう。皆さんに応援してもらえるような格好をしなさい」と言われていました。伸びる選手の共通点は「自分をしっかり第三者的に見ている人」だと強く思います。1997年にドラフト5位で入団した井端弘和選手は入団した年の秋には見違えるような選手になっていました。理由を聞くと「自分はドラゴンズのショートで3番目でした。2人の先輩に勝つにはどうしたらよいかを考え、流し打ちを首脳陣にアピールしようと考えました」と答えてくれました。そのアピールが成功して試合に出られるようになり、ドラゴンズ黄金時代を不動のショートとして支えました。将来、会社で大きな仕事に携わりたいと思ったら、若い頃から何をすべきかを考え、がんばっていかなければならないと思います。僕が投げた試合でエラーが原因で負けたことは何度もあります。勝負にエラーはつきもので、確率でいうと、100回の守備で5回はエラーするものなのです。ピッチャーもフォアボールというエラーをしています。そう考えるととても責める気にはなれません。相手のエラーで勝つ時や味方のファインプレーで助けてもらって勝つこともあります。なので、エラーをしたからといって腹が立ったことは一度もありません。僕は現役時代の32年間、モチベーション高く野球をやり続けることができました。始めたからには続けないともったいないと思いやり続けてきました。これが継続です。2015年の引退会見では「悔いはたくさんありますが後悔はしていない」という話をしました。もっと勝ちたかったし、優勝もしたかったのですが、その時その時は一生懸命やったという自信があります。結果には悔いはあるが、その過程で後悔はしていないという気持ちを言葉にしたのです。誰にでも必ず終わりがきます。モチベーション高くがんばることができれば後悔は減らせるはずです。仕事、趣味、家族のこと、何でもいいので、一生懸命やり続けようという気持ちをもって日々臨めば、悔いのない人生を送れると思っています。7
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