Plusone639
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6高2から現役引退まで毎日続けたこと人は数多く見てきましたが、それを長年続けられる人となるとごく限られた人だけです。多くの人は続きません。一人だけ大きな努力を続けられる人がいました。 イチロー君です。彼とは、1990年の後半から2000年ぐらいまでオフは、1か月ほど一緒にトレーニングをした経験があるのですが、そんなに練習して体が壊れないのか、と思うくらい練習をしていました。ある時、「なぜそんなに練習ができるの?」とイチロー君に尋ねたところ、「努力したとしても報われるかは分かりません。でも、チャンスが来た時に努力をしていない人はそのチャンスをつかめない。だからやっておくんです」と答えてくれました。こういう人を天才というのだなと思いました。一生懸命やっている人には必ずツキが来ると信じて、僕も練習をしていました。僕も幼い頃から、小さなことはコツコツやれる性格でした。小学校3年で野球を始めたものの、小中学校では補欠でした。中2の春から毎日4キロ走り、寝る前に素振りを100回しました。でも通用しませんでした。最後にちょっとしたチャンスをつかみ、高校でも野球を続けることができました。高校2年生の春の大会準々決勝で野球解説者・スポーツコメンテーター元中日ドラゴンズピッチャー山本 昌 氏継続する心14点取られて、次の日から学校に毎朝7時32年のプロ野球生活の中で、練習する現役生活32年を中日ドラゴンズ一筋で活躍した山本氏は、その間3度のセ・リーグ最多勝を記録。1994年に投手の最高栄誉である沢村賞を受賞し、さらに2006年には史上最年長の41歳1か月でノーヒットノーランを成し遂げるなど数々の大記録を打ち立てました。「継続する心」をテーマにした講演では、現役時代に大切にしてきたこと、そして若い世代に伝えたいことを語りました。(文責:Plus One 編集部)山本 昌 (やまもと まさ)野球解説者・スポーツコメンテーター 元中日ドラゴンズピッチャー1965年、神奈川県生まれ。84年に日本大学藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。入団5年目のアメリカ留学を機に才能が開花。その後はチームのエースとして、3度の最多勝に輝き、1994年には沢村賞を受賞。 2006年には史上最年長41歳でのノーヒットノーランも達成した。15年に史上初の50歳での登板を最後に現役引退。50歳での現役、プロ生活32年、実働29年はいずれも歴代最長で、「球界のレジェンド」の異名を持つ。引退後は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動している。2024年新春の集い 特別講演

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