わら見積もりの仕方や経営に必要な知識も教えてもらいました。た。深川にいた叔母の家の裏庭に建てたバラック小屋で椅子作りを始めたものの、お金もない、お客もいない、あるのは腕と健康だけ。初めて作った名刺を手に、近所の会社や銀行に飛び込み営業をかけましたが、なかなか受注には結びつきません。それでも修行中にお世話になった同業者から仕事を分けてもらっていました。そんな時、以前加入した保険のおばちゃんから西武百貨店の家具製造担当者を紹介していただき、何とか仕事を受注したいと、埼玉の所沢までしつこいくらい何度も顔を出し続けた結果、西武系列のホテルや関連企業向けの椅子製作を受注することに成功。この実績を足がかりに仕事も増えていき、商売も徐々に軌道に乗っていきました。イヨベ工芸社の事業の拡がりとともに、オフィス家具メーカーや大手設計事務所からも信頼を得るようになり、OEM(発注元ブランドによる製造)が増えてきました。その際、私たちがこだわったのは、デザインを含めた提案型の家具作り。言われたことだけに終わるのではなく、デザインやアイデアをプラスアルファして、より良いものを作るという姿勢です。それが評価され、さらに大きな仕事につながっていくようになり、迎賓館や国会議事堂、歌舞伎座、APEC首脳会議などで使われる高級家具も受注するようになりました。「孫、子の代まで使えるいいものを」が譲れないこだわりです。ありがたいことに、今では百数十人の従業員が私を支えてくれ、各界のお客様からも厚い信頼をいただいています。に工場へ出向いて指導しています。また、若い人たちには国家資格である技能検定試験に合格できるよう、会社をあげて応援しています。そのお陰で、弊社には1級・2級技能士が60名以上、建築士その他の技能者が10名以上いて、ものづくりの腕を日々磨いています。私自身も、さまざまな展示会に足を運んだり、国内外のデザイナーと交流したりしながら、世の中のトレンドを感じ取り、一歩先を行くデザインの家具製作に努めています。「いいものを創ろうよ。」のスローガンとともに、イヨベ工芸社は今年創業60周年を迎えます。これからも最高峰のものづくりをみんなで目指していきたいと思います。 ―中学を卒業してすぐに椅子張りの修行に入られたそうですが、どんな毎日でしたか?― 22歳で創業されてから、どのように事業を軌道に乗せていったのですか?6年の奉公を終えて独立しまし―順調に事業を拡げていくことができた原動力は何でしたか?―五百部さんの熟練の技能を、後進の人たちにどう継承していますか?83歳を迎える今も、毎日のよう私が生まれ育った栃木県藤岡町には、東京に出て椅子作りや家具製作で成功した人がたくさんいて景気のいい話を聞いていたので、私も中学卒業後15歳で上京。新橋の椅子張り職人に弟子入りしました。住み込みの部屋は6人が雑魚寝する6畳一間。朝7時から夜10時くらいまで働いて月給は5千円、休みは月に2日だけという生活でした。修行中の18歳の時、皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚パレードに使う馬車の内装椅子張りを手がけました。このような大切な仕事を任されたということは、親方が私の腕を評価してくれていたのだと思います。同じ頃、中学の同窓会に出たことがあります。大学に進学した同級生がかっこいい詰襟服を着ていて、自分との差を感じました。「よし、彼らが卒業して社会に出る時、自分は一足先に経営者として独り立ちしよう」と心に決め、修行のかた6年後に独立・起業仕事に対する高い評価が、また次の仕事を呼び寄せる提案型のインテリアを一堂に展示する“IYOBE SOFA STUDIO”を2013年に開設椅子張り生地や裁縫見本、仕上げサンプルなども豊富に展示3115歳で弟子入りして
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