Plusone637
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事業を知り、仲間を増やす橘 文明堂、カステラのルーツについて教えてください。文明堂を創業しましたが、その後実弟の宮﨑甚左衛門が22年に東京に出てきて商売を始めました。その後、全国にも支店を広げ、それぞれの店を子どもや親戚に任せ発展していきました。私が新宿文明堂に入社した当時は、東京だけでも3つの文明堂がありました。先代の娘婿として入社したため、自分がなぜ今ここにいるのかを理解したいと思い、文明堂やカステラのルーツを調べに行ったこともあります。長崎のお墓にある先祖の名前を記録したり、全国の関係者に聞き取りをしたりしました。また、カステラは大航海時代にスペイン、ポルトガルから鉄砲やキリスト教と一緒に伝わったと言われています。元々どのようなお菓子だったのかを知るため現地を訪ねたところ、中世のカトリック修道院で修道女がそれらしきお菓子を作っていたことがわかりました。子どもの結婚式でおいしいお菓子を振る舞いたいときに、砂糖や小麦粉、宮﨑 1900年に中川安五郎が長崎で卵などの原料を修道院に持ち込むと、修道女がそれをいわゆるカステラのようなお菓子にして仕上げて返してくれたようです。カステラは人と人をつなぐお菓子だったことを確かめるよい機会になりました。橘 お婿さんとして入社されたということですが、いきなり社長を言い渡されたそうですね。付き合っていた女性が新宿文明堂の一人娘であることを知りました。勤めていた三菱電機で働き続けるつもりだったので、結婚の挨拶に出向いたときは「継ぐつもりはない」と伝えたのですが、義父が体調を崩したことから入社することを決めました。取締役に就任することとなり株主総会で就任挨拶をする30分前に、社長秘書から「今日からあなたが社長です」と告げられました。逃げ出したい気持ちはありましたが、受けるしかないという状況でした。橘 いきなり社長になられてまずどのようなことから取り組んだのでしょうか。宮﨑 宮﨑 二つのことに取り組みました。まずは事業を知ることです。カステラを作るところと売るところを知らないと、従業員の皆さんに認めてもらえないだろうと考えたからです。工場に1カ月通い詰めてもうまく作れるようにはなりませんでしたが、私が作った出来の悪いカステラを皆さんが食べたいと言ってくれたのはうれしかったですね。もう一つは仲間を増やすことです。外から急に来てトップになったので、一緒に会社を回していく同志を早く見つけたかったのです。誰の言うことが自分の考える未来に一番近いのかが重要だと考え、社員との対話に努めました。複数の店を束ねるあるマネージャーは、私の売り場の提案をことごとく跳ね返してきました。ある日、そのマネージャーと2人でお客さまのもとへ伺うことになり、その電車の中で私が「どうしたらいいかわからないときがあって辛いんです」とこぼしたところ、「そんなふうには見えませんでした。何でも協力するので言ってください」と言われ、そこからはよき相談相手となりました。素直になることの大切さを知りました。橘 リーダーにとって大きな仕事の一つは、組織の中でいかに協力者を増やしていく    5ティグレグループ代表株式会社文明堂東京代表取締役社長宮﨑 進司SPECIAL DIALOGUEカをスつテなラぐはお人菓と子人橘 悦二

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